MENU

【母の日のはじまり】母の日をつくった人は母の日を廃止しようとしてた事実に驚愕

「母の日」が急上昇ワードで1位になっています。

みなさん、日々の感謝をしたいという気持ちがあるんですね。

かくゆう私も、カーネーションの束を母親に贈りました。

花を渡した後に、「ありがとう」と面と向かって言われると照れくさいながら、悪くないなと思いました。

みなさんはすでに母の日、感謝の言葉は伝えましたか?

もしかしたら、これからという方、またはちょっと遅くなっちゃうけど明日かあさってか、来週中には…

という方もいるかもしれません。

いまからでも遅くはないと思いますので、まずは、母の日の由来を知って、お花を用意しませんか?

母の日の由来

母の日の発祥は、アメリカのフィラデルフィアという土地からです。

そこに住む「アンナ・ジャービス」という少女が母親の死をきっかけに、「母親が生きているうちに敬う機会をつくろう」と決意したのがはじまり。

ジャービスさんのお母さんは、南北戦争で負傷した兵士を助ける活動をしていた方で、そんな母親の偉大さを失ってから気がついたということだそうです。

1908年の母親の二回目の命日に、活動を開始。

活動はアメリカ全土に広がり、19014年には大統領のウィルソンが正式な国民の祝日として制定します。

ジャービスさんは母の日を嫌うようになる

しかし、なんと彼女は母の日を廃止するように活動をはじめます。

えぇ!?と思いますよね。

なぜなら、次第に盛り上がる母の日の「商業化」を非難していました。

つまり、はじめは純粋に母親への感謝を表す日だったのに、だんだんと企業のお金儲けに利用されるのが、あまり好ましくない状況と感じたというわけです。

母の日の廃止活動で、すっからかんに

驚くべきことに、母の日の廃止活動で遺産をすべて使い果たし、亡くなる前にはかなり貧しい生活をしていたそうです。

「母の日を商業化すんなクソファックだぜ!」と遺産を使い果たしてまで廃止活動をした姿はなかなかロックですね。しびれます。

花やを閉店させようとしたり、運送屋さんを襲撃したりして逮捕されたこともある過激な方だったようです…

日本ではいつから流行り始めたのか

日本では、明治末期頃から行われ始め、昭和12年に森永製菓が一気に普及させたそうです。

戦後初期は、当時の皇后の誕生日である3月6日が母の日とされていましたが、徐々に現在の5月16日へと移り変わっていきます。

カーネーションの由来

母への感謝の気持ちを表す行為として、カーネーションを贈るようになったのもジャービスさんが始めたことです。

カーネーションは母親が生きていれば、「赤いカーネーション」を贈り、亡くなっていれば「白いカーネーション」を胸に差すという行為が広まっていきました。

なんとも美しい文化ですね。

黄色いカーネーションだけは避けましょう

いまでは、赤いカーネーションだけではなく、いろんな色のものが花やさんに並んでいます。

しかし、黄色だけは花言葉の意味が良くないので避けたほうがいいかもしれません。

黄色いカーネーションは「軽蔑」、「嫉妬」という意味が含まれるそうです。

遅れても関係ない!感謝の気持ちを表そう!

なかなか過激なエピソードも含まれていた、母の日の起源。

もし、この記事を読まれている方で、5月14日に間に合わない!という方も、遅れてでもいいので、赤いカーネーションを贈ってみてはどうでしょうか。

もし遅れたことをチクチク言われるのなら、アンナ・ジャービスさんの話をして、大事なのは、「いつ贈るか」ではなく、いつでも気持ちを伝えることが大事なんだよとそっと教えてあげましょう。

以上、TOPICがお伝えしました。